白雪の輪舞



 

 吟遊公爵がふと顔を上げた向こうでは、白い風花が舞っていた。吹きすさぶ風がガタガタと窓枠を揺らす音が、公爵様の意識を浮上させたものの正体らしい。窓の外の景色など目にも入らぬ様子で一心不乱に仕事を続けていたおかげか、どうやら書類は目処がついたようだ。
 これからどんどん冷え込んでいくのであろう気温を考えつつ、今まで格闘していた書類を纏めたグレモリーが、仮眠所代わりのソファーの上に身体を投げ出したちょうどその時。ガタつく窓を蹴破って、体中に雪を纏わりつかせた狼が吹雪と共に執務室へと押し入ってきた。


「ま、ま、ま、マルコシアスー!?な、な、なにしてるのー!?!?」

「帰館途中で吹雪に巻き込まれたもんでな。少し休ませてもらうぞ」


 ぽかーんと口と目を見開く吟遊公爵の目の前で、前足で器用に窓を閉めた狼がブルリと身体についた雪を振り払う。その度に、公爵様の執務室の床には溶けた雪が水たまりとなって広がるばかりだ。
 開いた口がふさがらない…という態の公爵様を気にする様子も見せずに、雪と泥の混じったの足跡を残しつつ、狼――第七座天使の侯爵は、吟遊公爵の元へと近寄っていく。そしてそのまま、ソファーの上に身体を起こしていた彼女の女の膝に上体を預けると、その腹に鼻面を押し付けた。
 余人には身体に触れられることすら嫌がる第七座天使の侯爵ではあるが、やはり吟遊公爵だけは別格らしい。『撫でれ』と言わんばかりにグレモリーの白い手に背中を押し当てながら、ソファーの上に登りきったマルコシアスがぐるりと身体を丸めこんだ。

 

「雪、振るっただけで大丈夫?身体拭かなくていいの?風邪ひいちゃうよ?」

「悪魔がそう簡単に風邪なんかひくかよ…」

「それはそうだけど……でも、マルコシアス、ちっちゃい頃はよく風邪ひいてたし…」

「んな物心つかねぇ頃の話なんざ忘却の彼方だっつの!いちいち持ち出すな、馬鹿!!」

 

 思いのほか柔らかな闇色の毛並みは、珍しく芯まで冷え切っていた。どうやら外の吹雪は予想以上にひどかったようだ。
 冷たく濡れた身体を撫で梳いてやりながら、吟遊公爵が第七座天使の侯爵に話しかける。だが、それに対する狼の答えは何ともそっけないなものだ。だが、荒い言葉と吐く狼自身、温もりを求めるかのごとくグレモリーの身体に頭を押し付ける自身の行動に気付いていないのだろう。無意識に甘えてくる狼に柔和な笑みを浮かべつつ、吟遊公爵の小さな手は狼の背中をあやすように叩く。
 だが、そんな彼女が発した思いもよらない言葉に、がばっと狼が頭を上げた。焦りと羞恥の入り混じったような血色の瞳が、事情が呑み込めていないのか、きょとんと首を傾げているグレモリーの翡翠の瞳と交差する。が……。
 不服そうに鼻を鳴らしたマルコシアスは、これ以上何も言葉を紡ぐこともせず、怪訝そうな視線を投げてよこすグレモリーを押し倒すようにソファーの上に寝そべった。


「もういい。俺は寝る」

「ちょ……ま、マルコシアスー!?寝るのはいいから私の上からどいてほしいのー!!」

「……煩ぇ……いいから黙って行火にでもなってろ、馬鹿……」


 第七座天使の侯爵の巨大な身体の下敷きにされた吟遊公爵が必死に手足をばたつかせても、狼がその抗議を聞き入れてくれる様子はまるでない。それどころか、彼女の上で顎が外れんばかりに欠伸を漏らした狼が、彼女の胸にもふりと顔を埋めてしまう。
 温もりを求めるかのように頬を摺り寄せてくる狼の身体を、呆れたような諦めたような笑みを浮かべた吟遊公爵がそっと抱きしめた。冷え切った毛並みとは裏腹に、細い腕に抱かれた狼の身体は暖かく柔らかい。
 そういえば、今、この旨の上で眠る狼を拾った日も、こんな吹雪の夜であったことをふと頭の片隅に思い起こしながら……珍しく無防備な寝姿を曝す狼の寝顔を盗み見た吟遊公爵は、本日何度目になるのかわからぬため息をついた。

 

「…………寝顔だけは、ちっとも昔と変わんないのにね……」

 

 足元でわだかまっていたブランケットをどうにかこうにか手繰り寄せた吟遊公爵が、狼をそっと包み込んだ。その感触が気に食わないのか、微かに狼の眉間に皺が寄り、喉の奥でグルグルと不満そうな唸り声が漏れる。
 ブランケットの中でむずがるマルコシアスを抱きよせて、グレモリーは唸る狼の口元に軽く唇を落とした。そのままあやす様に背中を撫でてやれば、ようやく落ち着いたらしい狼の声が静かになっていく。
 毛並みを濡らす雫も乾いてきたのだろう。次第に体温を増す大きな身体を抱きしめて…吟遊公爵もまた、翡翠の瞳をそっと閉じた。
 窓の外では、今も雪が降り続けている。

 

 


 








inserted by FC2 system